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東京高等裁判所 昭和62年(う)964号 判決 1987年11月10日

主文

原判決を破棄する。

本件を東京地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、被告人及び弁護人元木徹の提出した各控訴趣意書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は、検察官原武志の提出した答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

被告人の控訴趣意及び弁護人の控訴趣意第一点は、訴訟手続の法令違反の主張であつて、要するに、原審裁判所は本件(本件被告事件ないしその公訴事実をいう。以下、同じ。)の審理に当たり、当時東京簡易裁判所(以下、「東京簡裁」という。)に被告人の売春防止法違反被告事件(以下、同被告事件ないしその公訴事実を「別件」という。)が係属しており、本件と別件は、別件で逮捕された被告人が実弟甲野次男(以下、「次男」という。)の名を詐称し、その過程で本件を犯したもので、密接に関連し、かつ刑法四五条前段の併合罪関係にあつて、併合審理するにつき何らの障害もなく、しかも検察官も原審において併合申立も行なつていたのであるから、原審裁判所としては刑訴法五条一項により審判を併合すべきであるのにこれをしなかつたのは判決に影響及ぼすこと明らかな訴訟手続の法令違反である、というのであり、弁護人の控訴趣意第二点は量刑不当の主張である。

そこで検討するに、原審記録を調査し、当審事実取り調べの結果をも参酌して検討すると、本件の手続経過は次のとおりと認められる。即ち、被告人は昭和六二年三月一六日、都内新宿区歌舞伎町で売春周旋目的で人を売春の相手方となるように勧誘した別件につき現行犯逮捕されたが、その際次男の氏名を詐称し、同日の弁解録取、取り調べにおいても詐称し続けて本件の犯行に及び、同月一九日別件につき次男名義で略式命令の請求(在庁)がなされ、同日東京簡裁から罰金三万円の略式命令が発せられたこと、その後右詐称が判明し、かつ被告人が同種前科のみでも既に懲役刑を七回受けたほか罰金刑にも多数回処せられ、その中には本件同様次男名義で罰金刑となつたものが二回含まれていることなども判明したため、検察官は同年四月一日前記略式命令に対し正式裁判の請求をなす一方、本件につき捜査を遂げ、同月二八日原裁判所にこれを起訴すると共に、その起訴状に別件が東京簡裁に係属中につき併合審理されたい旨の付箋を付して職権発動を促し、更に、原審第一回公判前の同年六月四日、書面をもつて弁護人らの訴訟手続の法令違反の論旨に指摘の趣旨で審判併合の申立をなし、併せて別件は懲役刑相当事犯であり、何ら罰金刑を選択すべき事情がないことから、東京簡裁に対し刑訴法三三二条による移送の申立を行う予定である旨付記したが、原審裁判所は職権を発動して刑訴法五条一項の併合決定をすることをせず、審理を進め、被告人及び弁護人が全面的に事実を認め証拠調にも同意したため、同月九日、一九日の二回の公判審理をもつて終結し、被告人には懲役二年が求刑されたこと、他方別件についても被告人及び弁護人が事実を認めたため、東京簡裁は同月一一日の第一回公判をもつて審理を終結したこと、なお、同期日において検察官は、別件が懲役刑相当事案であるとして原裁判所へ移送の申立をなしたが同簡裁が職権発動をしなかつたため、論告において、懲役刑相当の事案であるのに移送の決定をしなかつた同簡裁の措置には到底承服し難いとして求刑を差し控え、弁護人からは検察官が控訴する趣旨であれば被告人の利益のために移送することを希望する旨の意見が開陳されたこと、同簡裁は結局移送しないまま同月一八日別件につき被告人を罰金五万円に処し、他方原審裁判所は同月二三日本件につき被告人を懲役一年六月に処する旨の原判決を言い渡し、その量刑理由において、「今回の略式命令は検察官の正式裁判請求により確定するに至らず、被告人は別途罰金五万円に処する旨の判決を言い渡されて、売春防止法違反については既に一応の制裁を受けていること」を被告人のために斟酌すべき事情として掲げていること、ところが、別件に対しては検察官から同月三〇日控訴申立があり、これを受けた東京高等裁判所は、同年一〇月二〇日、右控訴を容れ、別件は懲役刑をもつてのぞむのが相当な事案であるところ、簡易裁判所は懲役刑を科すことができないから、裁判所法三三条三項、刑訴法三三二条により決定をもつて別件を管轄地方裁判所に移送しなければならないのに、これをしなかつた原裁判所の訴訟手続には右各法条の解釈、適用を誤つた違法がある、として右東京簡裁判決を破棄し、別件を東京簡裁に差し戻し、同判決は同年一一月五日確定したこと、その結果差し戻しを受ける東京簡裁は別件を管轄地方裁判所に移送せざるをえない状態になつており、また右移送を受ける管轄地方裁判所も事実上罰金刑を選択する余地が存せず、被告人は二個の懲役刑判決を受ける立場に立たされていること、なお、被告人も別件の前示検察官控訴後の同年七月三日前示趣意のもとに本件について控訴を申立てるに至つていること、以上のとおり認められる。

以上認定事実によれば、本件と別件とは刑法四五条前段の併合罪の関係にあつて、刑訴法九条一項の関連事件であるところ、両事件はいずれも被告人の単独事犯で、その内容も単純かつ相互に密接に関連し、各訴訟手続面でも、被告人及び弁護人は事実を認めて争わず、その進行状況も本件と別件ほぼ同時進行に等しく、更に原裁判所と東京簡裁は同一庁舎内にあつて記録送付に伴う訴訟の遅延も度外視できる状況にあり、検察官及び被告人関係者の双方とも併合ないし移送することを求めあるいは希望しているのであつて、手続の上からはもとより事件処理の面においても併合審判をするに何らの障害はなく、なお、右のように係属裁判所を異にするに至つたのは止むをえない事情によることが明らかである。もつとも、手続上の便宜はともかく、別件につき罰金刑が宣告、確定するのであれば、刑法四八条一項に徴し科刑の点で被告人に格別不利益になる点はなく、敢て併合する実益及び必要性に乏しいが、懲役刑が宣告される場合には同法四五条前段、四七条の法意に徴し、併合審判を受けることは単に処断刑の範囲という点で利益があるばかりでなく、一般にも複数の判決を受けるより一個の判決を受けた方が事実上有利と受け取られる傾向にあることは否定し難いところである。しかも、本件においては、原審裁判所は検察官が別件につき懲役刑を相当と考えていることは審判併合の申立により知悉するところであり、かつその後の審理を通し得られた被告人の前科の内容に徴し検察官の右の意見にも相当の理由のあることは容易に察知しうるところであるし、別件東京簡裁における論告、弁論の経過も、本件の判決期日はもとより弁論の終結前に十分知りえた筈であつて、主観的にも本件に別件を併合する何らの障害のないことも明らかであるから、このような場合には併合するのがむしろ通常の取り扱いでありまた法の想定する典型的事例の一つといつても過言ではなく、そのことが訴訟経済上もまた当事者の利益にも合致するのみならず、被告人の納得、ひいて刑罰の感銘力にも寄与するものと思料されるのである。もつとも、法は刑法四五条前段、刑訴法九条一項一号の関係にある事件についてこれを常に併合しなければならないとしているわけではなく、特に事件が上級裁判所と下級裁判所に各別に係属した本件のような場合は、当事者に申立権も認めず、併合の要否を専ら上級裁判所の裁量に委ねているところであるから、併合しないことが訴訟手続の法令違反となるかは検討を要するところであるし、これを肯定し被告人の併合審判の利益の点を考慮してみても、なお原判決の量刑が適切であれば、併合審判しなかつたことの当否は判決に影響を及ぼすことはないのであるから、結局本件訴訟手続の法令違反の論旨の当否もその実質は右の意味で量刑不当の論旨の当否に左右されるものといわざるをえない。そこで、当裁判所は右のような本件の特殊性に鑑み、訴訟手続の法令違反の論旨に対する判断に先立ち、原判決の量刑の当否を、殊に併合審判しなかつたために被告人が不利益を受けないか否かを考慮しつつ検討すると、本件犯行の動機、態様、経緯、被告人の反省状況、前科歴等、就中被告人は別件と同種の多数の売春防止法違反の前科中、昭和四五年八月、同四八年四月、同五二年一〇月、同五六年二月、七月、同六〇年二月の犯行により検挙された際にも次男名を詐称し、その後詐称が判明しながらも、これまでは私印偽造、同行使で立件、訴追されたことはなく、売春防止法違反についてのみ訴追され、かつその刑も最も重いもので懲役一年四月であつたこと(ちなみに、同六〇年二月の犯行の際は本件同様捜査過程で詐称が判明しているし、また同五六年七月の売春防止法違反に関する判決はその量刑理由において、被告人が逮捕時詐称していた点も指摘のうえこれら両判決とも被告人を懲役一年四月に処している。)、更に前示のような別件と本件との関係などに徴すると、別件の量刑の如何に拘らず、本件についてのみの量刑としては原判決が言い渡した懲役一年六月の刑は相当であるとは認め難いところであるばかりか、別件が罰金刑で確定する場合はさておきそれが懲役刑となる場合には明らかに重きに失するものといわざるをえない。まして、検察官が別件につき懲役刑求刑の意向を明らかにし、それに相当な根拠があつて懲役刑に処せられることが見込まれている状況下において(現にそのようになつたことは先に説示のとおりである。)、原判決は異例の論告がなされ確定していない別件の罰金五万円の刑を前提に別件につき既に一応の制裁を受けているとしてこれを量刑資料の一つとしているところ、その前提が失なわれるのであるから、その論理自体においても結論に影響を受けざるをえないところである。そして、併合審判が可能かつ相当な状況にあつて、これをしなかつたのは専ら原審裁判所の職権不発動に尽きるものであることを考慮し、刑法四五条前段、四七条本文の法意に徴するならば、併合審判しないことによる科刑上の不利益を被告人に帰せしめること、即ち本件と別件を合した刑が併合審判した場合のそれより重くなることは許されないものといわざるをえないのであるから、別件につき懲役刑に処せられることとなる以上、これを審理する裁判所が本件の量刑を十分考慮した量刑をしても、別件が罰金であることを前提にした原判決の量刑がその影響を免れることはできないものというべきであり、従つて、結局原判決の量刑は重きに失しており、破棄を免れないことになるが、その適正な量刑を図るためには前示のとおり別件の量刑を考慮せざるをえないところ、被告人はなお併合審理を強く望んでおり、かつ別件が再度一審裁判所に係属していて、本件を差し戻せば原裁判所において妥当な方法を選択対処しうる状況が生じていることを考慮すると、本件を原裁判所に差し戻すのが相当であると思料されるのである。右の意味において量刑不当の論旨は理由がある。

よつて、その余の控訴趣意(訴訟手続の法令違反)に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条本文により本件を原裁判所である東京地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高木典雄 裁判官太田浩 裁判官田中亮一)

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